親と教師のそういち就活研究所

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ブルシット・ジョブ=ホワイトカラーの「どうでもいい仕事」が増えている  

ホワイトカラーの「どうでもいい仕事」

文化人類学者のデヴィッド・グレーバーがうち出した「ブルシット・ジョブ」という概念があります。

日本語に訳すなら「クソみたいにどうでもいい仕事」あるいは「要らない仕事」と言ったらいいでしょうか。とくにホワイトカラーの「どうでもいい仕事」を指します。

グレーバーは『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店、2020年)という本で、この概念に基づく文明論や仕事論を述べています。以下、この記事はおもに同書の要約です。

グレーバーによれば、今のホワイトカラーの仕事の多くの分野で「ブルシット・ジョブ=どうでもいい仕事」が存在します。たとえば管理職、人事・広報・コンプライアンス(法令順守)の部署、コンサルタント、金融関係のプロたち……

ブルシット・ジョブのおもな類型

こうした仕事すべてがブルシット・ジョブだというのではありません。しかしこうした仕事は、グレーバーが主張するつぎの「ブルシット・ジョブのおもな類型」にあてはまることが多いということです。

その類型とはこういうものです。(本書の表現を私そういちが多少要約) 

1.取り巻き 誰かを偉そうにみせるためだけの仕事
2.脅し屋 雇用主のために人を脅したり欺いたりする仕事
3.尻ぬぐい 組織のなかのあってはならない欠陥を取り繕う(解決するのではない)仕事
4.書類穴埋め人 組織が実際にはやっていないことをやっていると主張するために存在する仕事
5.タスクマスター 他人に仕事を割り当てるだけの仕事 

そして、こうした仕事に就く人たちは本音では「自分は人の役に立っていない」と感じている。それを示すアンケート結果もある。にもかかわらず、高給をもらっていたりする。

ブルシット・ジョブが増えている

現代社会では、ブルシット・ジョブは増えているのだそうです。グレーバーは、美術の世界はひとつの典型だと述べています。昔はアーティストと画廊のオーナーがいただけでしたが、今はキュレーターなどのいろんな専門家が美術作品の取引に関わっています。

たしかにそうかもしれません。昔はコンプライアンス部なんて会社にはありませんでした。人事や広報のスタッフはもっと少なかった。こんなにさまざまな分野のコンサルタントはいませんでした。

今の社会は「どうでもいい仕事」「要らない仕事」が蔓延しているのではないかと、私も思います。

エッセンシャルワーカーへのしわ寄せ

そして、自分の仕事をむなしいと感じる高給取りが多くいる一方、エッセンシャルワーカーといわれる、社会に必要な、ニーズの高い仕事をする人たちが不遇な目にあっているのではないか。

グレーバーも言うように、生産現場などのブルーカラーの仕事は、この何十年かで効率化がすすんで「どうでもいい仕事」はあまり存在しなくなりました。しかし、その現場では多くの非正規社員が働いています。医療や介護の現場は、いつも人手不足。

これらの分野では本来なら「どうでもいい仕事」が存在する余地はないはずです。しかし、記録や打ち合わせなどの業務負担が大きく、本来の業務にしわ寄せが生じることもあるといいます。

記録も打ち合わせもたしかに必要な仕事ですいが、やりすぎると「どうでもいい仕事」の側面が生じてしまうのです。

ブルシット・ジョブが蔓延して、重要な仕事にがないがしろにされる状態が続けば、社会は衰退していく。そうなれば、ブルシット・ジョブだって存在する余地はなくなります。

「給料は苦行への対価」という仕事観が根強い

本書を読むと、「仕事とは何か」ということを根本から考えさせられます。

本書によれば、日本でも欧米でも、「仕事はそれ自体が尊い」「仕事は苦行でなければならない」「給料は苦行への対価」という価値観は根強くあるのだそうです。

だからこそ、現代の巨大な生産力は労働時間の削減に向けられることなく、新たな要らない仕事を作り出している。

そして、ブルシット・ジョブに従事している人たちの高給も、その価値観によって正当化されます。「むなしさの苦痛に耐えて仕事をしているのだから」ということです。

仕事の本質は「ケアの提供」

では、結局のところ仕事とは何なのでしょうか? 

グレーバーが強調しているのは、「ケアの提供(人の世話をする、人の役に立つ)」という要素です。ケアこそが仕事というものの核心にあるのではないかと。

そして、介護のようなわかりやすいかたちのケアだけでなく、たとえば橋を建設することも、橋を利用する人たちへのケアの提供という面があるのだとも述べています。

私は「直接あるいは間接に人の役に立つ・人をよろこばせる」ということが「ケア」なのだと、解釈しています。

グレーバーの本書から私が得た大事な結論のひとつは「仕事の本質は苦行ではなく、人へのケアの提供である」ということです。

人へのケアという要素が自覚され実行されるなら、その仕事はブルシットではない。本書のなかで「ブルシット的」とされる仕事であっても、そうではないものとして取り組むことも、やり方しだいで可能なはずです。

たしかにこの「ブルシット・ジョブ」という視点は、「仕事とは何か」を考えるうえで重要な提起していると思います。

 

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著者のグレーバーさんは、惜しくも2020年に59歳で亡くなってしまいました。