親と教師のそういち就活研究所

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ジョブ型導入の議論・成果主義とのちがい

「ジョブ型」「メンバーシップ型」

雇用の「ジョブ型」「メンバーシップ型」ということを、最近ときどき見聞きします。

ジョブ型雇用とは、「細分化した職務にそれを遂行できる労働者を割り当てる」システムです。

これに対しメンバーシップ型は「職務が限定されない、多くの職務を遂行することのできる労働者」によって組織が成り立つ雇用のあり方です。

そして、ジョブ型は欧米型で、メンバーシップ型は日本型の雇用システムといわれます。

ただし「日本型」といっても、メンバーシップ型が典型的にあてはまるのは大企業であって、中小企業や非正規労働者は状況がちがいます。それは重要なことですが、話を絞るためここでは踏み込みません。

提唱者はジョブ型導入の議論を批判

 近年は、日本の雇用にジョブ型を取り入れていくべきだという議論もあります。

しかし、このジョブ型・メンバーシップ型という概念を提唱した研究者の濱口桂一郎さんは“多くのメディアで流行したジョブ型は、私の提示した概念とは似ても似つかぬもの”だと述べています。(『ジョブ型雇用社会とは何か』)。

つまり最近のジョブ型導入の議論は、あやしいものだというのです。

さらに、そこには給与引き下げ(とくに中高年の不当な高給の是正)の論拠にジョブ型の考え方を用いたいという、経営者側の思惑もあるのではと、濱口さんは述べます。

 それはどういうことなのか。濱口さんの著作『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書、2021)に基づき、要約して解説します(なお、上記のジョブ型・メンバーシップ型の説明も、濱口さんの著作を参考に、私そういちがまとめたものです)。

日経新聞のジョブ型解説への批判

濱口さんは、『ジョブ型雇用社会とは何か』(以下本書という)の序章で、日本経済新聞(2020年6月8日)のジョブ型についての解説記事をとりあげています。その解説は誤解だらけだというのです。

この記事はこう述べています。

“ジョブ型 職務内容を明確にした上で最適な人材を充てる欧米型の雇用形態。終身雇用を前提に社員がさまざまなポストに就く日本のメンバーシップ型とは異なり、ポストに必要な能力を記載した「職務定義書」(ジョブディスクリプション)を示し、労働時間ではなく成果で評価する。職務遂行の能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る。”

まず、「ポストに必要な能力」「職務遂行の能力」といった「能力」という言葉でジョブ型を語るのがちがうと、濱口さんは述べています。

「能力」というのは、メンバーシップ型(日本型)の人事管理における概念です。それは「意欲」などの態度を重視したばくぜんとしたもので、ジョブ型における概念ではない。しかし、“この解説記事を書いた日経記者はそのことに無知なようだ”と。

職務を細分化して定義する「ジョブディスクリプション」で記述されるのは「能力」ではなく、“その職務がどういうタスク(課業)からなっているか”というきわめて具体的なことなのです。

 ジョブ型は「成果主義」ではない

また、さらに問題なのは「労働時間ではなく成果で評価する」という記述だと、濱口さんはいいます。世間では、ジョブ型とは成果主義の一種のようにとらえられている。しかしそうではない。

“ジョブ型とは、まず最初に職務(ジョブ)があり、そこにそのジョブを遂行できるはずの人間をはめ込む”ものである。そこで人間の評価は、おもにジョブにはめ込む前、つまり採用時に行う。そして“後はジョブスクリプションに書かれた任務を遂行できているかそれともできていないかをチェックするだけ”であると。

これは、事細かな基準を設定して評価する、いわゆる「成果主義」とはちがいます。

そのような「成果主義」に基づく人事評価は、欧米では少数のエリートで行われることはあっても、大多数の一般労働者には関係がない。つまり、ジョブ型イコール成果主義ではない、と濱口さんは言うのです。

 解雇しやすくなるわけではない

そして、日経の解説記事の「職務遂行の能力が足りないと判断されれば解雇もあり得る」という記述も問題であると、濱口さんは述べます。

つまり“ここ数年来、ジョブ型社会になれば解雇されやすくなるという議論が、それを推進する側からも批判する側からも多く見られ”るが、それはちがうと。少なくとも問題を単純化しすぎているというのです。

まず濱口さんは、アメリカは別にして、日本を含む多くの国々では正当な理由のない解雇は規制されるという「解雇規制」があることを指摘しています。

そして解雇を法律でどの程度規制しているかは国によってちがう。ジョブ型のアメリカはたしかに解雇規制が緩いが、ジョブ型でも解雇規制の厳しい国もある。ヨーロッパと日本でどちらが解雇規制が緩いかは、一概に言えない。

また、ジョブ型における解雇とは、職務を遂行できると思って採用した人間が、じつはできなかったという場合をおもに想定しているとのこと。つまり試雇期間における解雇が一般的なのだと。

試雇期間を過ぎて本採用されたら、職務は遂行できているということなので、「仕事ができないから解雇」ということは原則としてあり得ないわけです。

つまり、ジョブ型イコール解雇しやすくなるということではない。

ただし、ジョブ型では事業縮小などで職務がなくなった場合のリストラが「正当な事由」として、メンバーシップ型よりも認められやすい傾向はある。

しかし、まずこのような腑分けをして考えないといけない。ばく然と「ジョブ型だから解雇しやすい」というのはちがう。

 ジョブ型とメンバーシップ型は根本的にちがう

以下、同書の濱口さんの記述をやや離れて、私そういちの感想や解釈を述べます(ただし、濱口さんの主張や主旨には沿っているはず)。

本書を読んで私そういちがとくに印象深かったのは、「ジョブ型とメンバーシップ型はその原理や発想が根本的にちがう」ということです。

だから、ジョブ型の発想はメンバーシップ型になじんだ日本人にはわかりにくいところが多々ある。そこで日経新聞の記者でもジョブ型の説明でいろいろまちがえてしまう。

そして、メンバーシップ型であるという本質は、日本の雇用や労働のあり方のあらゆる面に影響をおよぼしています。

さまざまな職務を担いうる労働者は、ある職務が縮小しても配置転換が可能で、それゆえに長期雇用・終身雇用が成り立つ。

そして職務に応じた賃金ではないのだから、年功序列で賃金を決める。さらに「会社での経験・年数に応じて能力が上がっていく」という能力主義の考え方が年功序列を正当化する。

欠員が出たらその職務を遂行できる者を中途採用するのではなく、スキルを持たない新卒を採用してOJTで育成する……

*この点については、この記事でより具体的に述べています。

重大性をわかっているのか?

つまり、私たち日本人にはメンバーシップ型のやり方が芯までしみ込んでいるのでしょう。だから、ジョブ型を説明するのに「能力」という日本のメンバーシップの概念が混入することもあるわけです。

ジョブ型というものを私たちが理解するのは、おおいに困難なのです。私たちが慣れ親しんだシステムと根本的にちがうからです。つまり、日本においてジョブ型を導入するのは、根本的な転換をともなうたいへんなことなのです。

先ほど述べたように、メンバーシップ型の原理は、日本の雇用や労働を隅々まで規定しています。ジョブ型への移行は、それらのすべてに変更をもたらすといっていい。

ジョブ型導入をとなえるとき、その重大性があやふやである場合もあるのではないか? 

 成果主義導入の再チャレンジを意図している?

では、ジョブ型導入に関心を持つ人たちは、何を意図しているのか?

これについて、濱口さんはこう述べています。

 “一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけての頃に一世を風靡したものの見事な失敗に終わった成果主義を、もういっぺん今度は成果を測定する物差しとしてのジョブを明確にすることによって再チャレンジしようとしている”

“その目的は成果主義によって中高年の不当な高給を是正するところにあり、それを正当化するかぎりにおいて成果測定の物差したるジョブの明確化を追求はしますが、とはいえ雇用システム全体のジョブ型化を目指すつもりはなく……”

つまり「成果主義導入の再チャレンジ」ということが、日本におけるジョブ型導入のねらいであると。

うーん、経営者にとって給与引き下げをする根拠に使えそうだから、ジョブ型を導入しようということですね。その目的のための、都合よいかたちでのジョブ型の導入であって、本来のジョブ型で根本的にシステムを変えるつもりはない。

そしてそれは、とくに高給取りの中高年社員をどうにかしたいからであると。

そして、コンサルタントや専門家の一部は「成果主義の導入」「人件費削減」につながるものとして、ジョブ型による改革をリーダーたちに売り込んでいる――そんなふうに本書の著者・濱口さんは批判しています。

「中高年の不当な高給を是正」というと、若い人は共感するかもしれません。たしかに不当な高給であれば、是正されてしかるべきなのでしょう。

しかし「高給の是正(給料の引き下げ)」ということは、若い人にも及ばないとはかぎらない。それも考えらえると私は思いますが、どうなのでしょう……

以上、ジョブ型導入の話はこのような、いろいろ考えるべき面があるようです。どのような立場であっても、しっかりした理解が必要だと思っています。